そう、僕は黙って眺めるだけ
青春真っ只中ボムギュ目線でお送りするグテカップルのお話。/ jkth feat. beomgyu
- 音を聴いた。
自分の胸が高鳴る音。どくんって大きく1回。例えるなら握力の弱い赤ちゃんに心臓を掴まれたような、そんな感じ。
晴れて高校生になった。毎日少し大きめの制服に腕を通して、慣れないネクタイも自分で頑張って結ぶようになった。中学の頃はネクタイなんて面倒なのなかったのにな。電車通学にすっかり慣れてしまった体。電車のために1時間も早起きしなくちゃいけなくて。入学当初は起きることが一番の苦痛だったっけ。
広い校舎。男子校だから四方八方男しかいない。勉強にしか精を注げないガリ勉くんだったり、推薦で軽々と合格を勝ち取った体育会系だったり、放課後隣町の女子校にナンパしに行くことが生きがいのチャラ男さんだったり...私立ってこんなもん。基本的に小金持ちが多い。それ故に校門から校舎までの道のりは無駄に長い。
僕がこの道を歩くようになって3ヶ月が過ぎた。
「アンニョ〜ン!今日カラオケ行きません?」
こうやってすぐに放課後自習をサボろうとするのは後輩の1人であるヒュニンカイだ。彼は中等部、僕は高等部、エスカレーターで繋がっている校舎は別の建物のようで同じようなもの。こうして授業が終わってはエスカレーターの橋を飛び越えて、こちらにひょっこり顔を出す。伸びた前髪を鬱陶しそうにしながら持ち前の形の良い唇がこれでもかと言うほどに弧を描いてポロポロとイタズラを漏らす。これだから元々頭の良い奴は…実に羨ましい限りである。
最近ハマってる曲もあるし、行きたい気持ちは山々なのだが生憎今日は…
「"バイトだから行けない、ごめんね。" でしょ?」
後ろから突然聞こえた声に喉がひくりと鳴った。彼の名はカンテヒョンと言う。彼も中等部で毎日のようにエスカレーターを通して俺に会いに来る友人の1人である。そして彼も例外なく大変頭の優れた生徒の1人である。それも校内でトップを争うほど。毎度僕の言いたい事をピシャリと当ててくる、言わばエスパーのようなもの。あまりに整い過ぎた顔立ちは入学式早々校内で話題になるほどだった。たまにタメ口なのがシャクに触るのだが。
まあ、こうして結局どんな理由であれ自習をサボろうとしているわけなのだが。放課後になってただでさえ時間に追われてバタバタしているというのに教室に大事なカーディガンを置き忘れてしまった。あのカーディガンは世界でひとつだけの大事なものなのに。1日たりとも、1分たりとも手放しちゃいけない。そして、その為に今僕はまた、この無駄に長い道を走っている。
息も絶え絶えにイスに掛けられた少しだけ年季の入ったカーディガンをやっと手にして、来た道を再度走る。ああ、なんで僕はいつもこうなんだ。ぶうたれても仕方がないのは百も承知である。
ふと吸い寄せられるように第一校舎を出てすぐ横にある大きな桜の木を見た。
一瞬。ほんの一瞬。強い風が吹いて。桜の花びらがふわあっと舞った。嗅ぎ慣れた甘い香りが頬を撫でて思わず足を止めた僕の視線の先、たくさんの桃色の中に1人の生徒らしき人が立っていた。
そして、音が聞こえたんだ。とくんって。
ミルクティーに蜂蜜を垂らしたような綺麗な髪色。小人が滑り台にしたくなるような高くて整った鼻。マッチ棒を何本も乗せられそうな長くカールした睫毛。何よりも幸せそうに桜の木を眺めるその姿に呼吸の仕方すら忘れそうだった。
いつかの一目惚れだった。
キムテヒョン、と言うらしい。キムテヒョン…先輩。今3年生で、得意科目は美術。成績はいつも真ん中よりちょい上くらいらしい。夏休みや冬休みになると、髪の毛を真っ赤にしたり青くしたり、時にはピンクにしたり…とにかく奇抜な色を好むらしい。何枚か写真を見せてもらったが、どれも絵画をそのまま実写化したような、言うならば美学だった。どうやらそこらへんのチャランポランな学生とは違うようだ。「イケメンというより女神に近いよな〜」というヨンジュニヒョンの発言はまさしくその通りだと思う。
2年生のヨンジュニヒョンはテヒョン先輩と多少面識があるらしく、僕に情報を幾つか教えてくれた。犬を飼っている話だったり、洋服のこだわりが強かったり、クラッシックが好きだったり…。少し四次元な部分はあるけれども、感性豊かで情に流されやすく優しいところもあるらしい。その反面すぐに物を無くすというおっちょこちょいな一面もある。話によると校舎内でもしょっちゅう物をなくしているとかなんとか。"ボールペンやノートなどはもちろん、ジャージの短パンとかマフラーとか、おまけにカーディガンまで無くすんだぜ?信じられん"とヨンジュニヒョンが少し呆れたように言っていた。そして昔はえげつないくらいモテたと。しかも男から告られることがほとんどだったらしい。
でもね。テヒョン先輩に恋をして目で追うようになってから知った悲しい事実もある。それは、
「ほら、かしてテヒョンア。」
缶のコーラをなかなか開けられないテヒョン先輩が心底可愛いくて仕方がないというような甘い目で見つめながら、"開けてあげる"と言う男。易々と片手で開けた後、先輩に渡すのかと思いきや、"やっぱあげない" と意地悪を言いながらくいっと缶を自分の元へ引き戻す男。むぅ…っと唇を拗ねたように尖らせ、その男のネクタイを引っ張り"ぐう、だいすき。コーラくだしゃい。"と先輩に言わせる男。全部ぜんぶ同一人物。
そう、テヒョン先輩には恋人がいる。それも恐ろしほどハイスペックの。
完璧とはまさに彼のことを指すのだと思う。彼の名はチョンジョングク。テヒョン先輩と同じく3年だが、実際年齢は1歳年下であり、その能力ゆえに飛び級したのだそう。成績良し。運動神経良し。性格良し。顔良し。…欠点が見つからない。オマケに有名医の息子でゆくゆくは父親の大学病院を継ぐような男だ。ああ、何一つ勝てない。当たり前だが男女問わずもの凄くモテる。本当に半端ないほどモテる。周りの女子は暇さえあれば "ジョングク先輩今日もかっこいい" "爽やかなお顔と凛々しい表情がたまんない" などと騒いでいるので本当に素晴らしいモテっぷりである。びっくりなのは当の本人は清々しいほど相手にしていない所だ。
大学内で2人が肩を寄せ合って歩いていると、校舎内全ての人間が道を開ける。先生さえもだ。まるで透明なレッドカーペットを敷くかのように。そして僕はいつも遠くから2人を眺めている。一度だってテヒョン先輩と話した事はないし、ましてや目があったことすら無い。もはや存在は他人以下である。
いつも彼を見つめるだけで、心臓がとくとく恐ろしい速さで動くんだ。夏が近づいて来たのかな、暑くて仕方がない。汗が止まらないんだ。まるで万引きがバレそうな小学生の子供みたいな。黒目が左右に忙しなく走り回りながらまぶたはパチパチ開閉を繰り返す。
チョンジョングクと目が合った、一瞬。怖いくらい綺麗な顔を僕だけに向けて微笑んだのだ。
そして僕は悟る。ああ、実に隙がない。彼はどこまでも完璧なんだ。そう思い知った瞬間だった。
- その日も僕はカーディガンを着ていた。